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NAKANIWA イベント「Toranomon Free Magazine 60min 特別企画『まち×愛着』シリーズ第3弾 ワッショイ!はじめての神幸祭&御神輿」レポート

作成者: NAKANIWA|2025.08.29

中央⽇本⼟地建物グループのR&D拠点「NAKANIWA」は、森林をイメージしたユニークなワークプレイスであり、オフィスの付加価値を高める空間づくりの実験の場でもあります。
このNAKANIWAで虎ノ門エリアに縁のある参加者を集めて行われたイベント、「Toranomon Free Magazine 60min 特別企画『まち×愛着』シリーズ第3弾 ワッショイ!はじめての神幸祭&御神輿」を取材してきました。

 

虎ノ門の神幸祭を知り、御神輿の担ぎ方を学ぼう!

中央日本土地建物グループでは、虎ノ門エリアのエリアマネジメントに資する取り組みとして2020年から年4回、フリーマガジン『Toranomon Free Magazine 60 min』を発行しています。『TORANOGATE(虎ノ門一丁目東地区第一種市街地再開発事業)』の新築工事も進む中、『人と社会に安心と感動を。ともに考え、ともに創り、ともに未来へ。』という企業理念を掲げる同社グループが、エリアで働く人々と、虎ノ門の未来をともに考える場として、「Toranomon Free Magazine 60min 特別企画『まち×愛着』シリーズ」を企画・開催しています。
2025年2月に実施した「TORANOMON PALETTE」に続き、シリーズ第3弾となる今回の「ワッショイ!はじめての神幸祭&御神輿」では、虎ノ門で活動するみなさんと共に、この街への愛着を深め、つながりを強めることでコミュニティ形成を促すことを目指しています。
ゲストには、虎ノ門及び麻布台周辺エリアの町会を氏子とする「西久保八幡神社」宮司 多田光武さん、新橋烏森神社の御神輿を庇護する神輿同好会「志ん橋 烏森 皐月會」7代目会長 藤井欣也さんをお迎えし、西久保八幡神社の歴史や神幸祭(じんこうさい)について学び、8月11日の神幸祭本番に向けて御神輿の担ぎ方を教えていただきました。

西久保八幡神社についてもっと知ろう

イベント開始直前のNAKANIWAは、町会のみなさんや虎ノ門エリアの有志、中央日本土地建物グループの有志が大勢集まっており、すでにちょっとしたお祭りのよう。「痛風腰痛持ち、裸一貫でたたかうサラリーマン」として、2024年度から「港区観光大使」も務める人気者、虎ノ門の妖精こと「カモ虎課長」もみなさんに混じってワクワクしている様子です。

ナビゲーターの小野寺学さんとカモ虎課長

ナビゲーターを務める虎ノ門一丁目琴平町会副会長 グー・チョキ・パートナーズ株式会社の小野寺学さんから、虎ノ門一丁目琴平町会長の古澤正夫さん、桜川町会長の林眞佐男さんをご紹介いただき、勉強会開始のご挨拶をしていただきました。 そして『まち×愛着』シリーズの説明に続き、今回ゲストにお招きした「西久保八幡神社」宮司 多田光武さんによる神社の由来や神輿についてのレクチャーが始まります。

西久保八幡神社 宮司 多田光武さん

西久保八幡神社のはじまりは平安時代の霞が関。その後、江戸城築城で知られる太田道灌によって現在の港区西久保へ移されたと伝えられています。関ヶ原の戦いの折には、二代将軍・徳川秀忠の妻お江が西久保八幡神社に願いをかけ、三代将軍・徳川家光の時代にその願いが叶ったお礼 として立派な社殿が建てられたのだとか。「八幡様は武将の神様なので、太田道灌や徳川家など(の武将)にあがめられていた」と多田さん。ちなみに西久保という地名は「愛宕山の西側のくぼ地(低地)」だったことに由来しているのだといいます。

江戸時代だけでも二度の大火に襲われ、当時の記録などはほとんど焼失してしまったといいますが、昭和初期の琴平町会の写真が残されていました。その写真には、大きすぎて牛車で曳いていたという当時の御神輿を囲む神職のみなさんや町の人々、郵便局などが写っています。

戦争では「この地区だけまっさらになった 」というほどの被害を受け、社殿・神輿庫・社務所・神楽殿を失いますが、昭和28年には社殿を復興。「都内では(復興が)早い ほうでしたが、それは氏子さんの力が大きかった。町が結束していたんです」と多田さんは言います。

そして、御神輿が復興したのは戦後70年を経た2015年のことでした。西久保八幡神社が御鎮座一千年を迎えた2011年から「みなさんで一致団結してなにかやろう。御神輿があれば、それを旗印に町会の皆さんが寄り合って、いろんなことができるんじゃないか」と、数年をかけて進められたのだそうです。

70年を経て復活!神幸祭の歴史を感じよう

神幸祭とは、普段神社に鎮座している大神様の御霊を、御神輿に遷(うつ)して町会を練り歩くことで、神様の力のさらなる発揚と、氏子や崇敬者(氏子ではないがその神様を信仰する人)の発展、安寧を祈るお祭りのこと。「神様が町会の視察をするようなもの」とも言われ、重要なお祭りなのです。戦後70年間はこの神幸祭も中断していましたが、御神輿が復興したことで、再び行われるようになりました。

当初はもっと小さくするつもりだったという御神輿ですが、「小さい神輿作ってもしょうがないだろう?」という声を受けて、大変立派なものになりました。前後左右の唐戸には、虎ノ門にちなんだ「虎」、その左右に「狛犬」、唐戸の下には八幡様のお使いとされる「鳩」など、さまざまな由来を持つ飾りが施されています。さらに2025年は綱につける鈴も大きくしたそうで、その迫力は小野寺さんも「ちょっとビビりました」と言うほど! 12の町会・自治会からなる氏子地域の巡幸図(御神輿が巡るコースの図)を確認すれば、気分はもうお祭り前夜です……!

特製担ぎ棒で神輿担ぎを体験してみよう!

ここで椅子などを移動し、スペースが空いた会場の真ん中に、中央日本土地建物グループのスタッフが用意した長さ3m、サイズ10㎝×10㎝の「担ぎ棒」2本が運び込まれました。そこへ登場した鯔背(いなせ)な半纏(はんてん)姿のITエンジニアこと、神輿同好会「志ん橋 烏森 皐月會」7代目会長 藤井欣也さんによる神輿担ぎの指南が始まります。

神輿同好会「志ん橋 烏森 皐月會」7代目会長 藤井欣也さん

「かけ声の決まりはないけれども、拍子をしっかり合わせる」「後ろの人のつま先を踏まないよう、ややかかとを上げる」「首を曲げて担ぎ棒の真下に体の芯を入れ、肩の負担を減らす」「腰を入れて縦の動きを合わせる」など、祭りらしさだけでなく安全面でも重要なポイントを教えていただき、いよいよ実際に棒を担いでみることに。

「オイサ!オイサ!」と掛け声をかけながら、少しずつ前へ出たり、後ろへ下がったり……しばらくすると周りで手拍子を送っていた参加者にも「(本番では進みながら途中で担ぎ手が交代するので)入れ替わる練習もしましょう」と声がかかります。担ぎ終えたみなさんはいい笑顔で感想を語り合っていました。

ひと通り参加者が担ぎ終えると、藤井さんは「本物はこの10倍以上の重さがありますし、棒の太さも2倍はある。1人ひとりが支えないと」とあらためて伝え、皐月會のメンバーが担ぐ棒に自らぶら下がって、本番に迫るハードな状況を再現。また最後に「江戸の担ぎは膝を持ち上げるのが特徴。男性はつま先を上げ、女性は下げると恰好よく見えますよ」と、担ぎ方を楽しむポイントも教えてくださいました。

まとめ

多田宮司が「一致団結してなにかやろう。御神輿があれば、それを旗印に寄り合って、いろんなことができる」とおっしゃった通り、神輿担ぎ体験で見たみなさんの笑顔には、人と人が寄り合って生まれるパワーが感じられました!